その①をご覧になられていない方は、まずはそちらをご覧下さい。

ジャマイカの歴史を辿る!レゲエとラスタファリの関係性!その①

 

さあ、その②では、その①でご紹介した、ロックステディイとラスタが交わっていく様をご紹介!

これでジャマイカとレゲエの全てが分かります!

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レゲエ誕生のきっかけその③

ロックステディイとラスタ

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画像参照元:http://urx3.nu/oJhx

 

1970年代に、ジャマイカ国内で、徐々に人気を博してきた、「ラスタファリ運動」しかし、その人気は、まだまだ広くジャマイカで認知されるものではありませんでした。

そこでラスタファリ運動を信仰するラスタたちは、音楽を通して、自分たちの想いを皆に届け、ラスタファリ運動を広く浸透させようと考えます。こうして、当時かなり人気だったロックステディイに、徐々にラスタの思考が混じってくるのです。

 



 



 

ロックステディイのゆっくりとした曲調に、社会的メッセージの強い歌詞、ロックステディイとラスタの融合によって生まれた音楽、レゲエはこうして生まれました。

しかし、レゲエは当時まだまだマニアックな音楽、ラスタファリの精神に魅せられ、ジャマイカで徐々に人気は出てくるものの、全世界で認められるほどの音楽ではありませんでした。

では、どうしてこのレゲエが、全世界で認められるようになってきたのでしょうか?

そう、それにはあの伝説的アーティスト、ボブマーリーの存在は欠かせませんでした。

 
ジャマイカの歴史その③

ボブ・マーリー

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画像参照元:http://urx3.nu/oJhD

 

レゲエの神様として、広く認知されている、ボブ・マーリーですが、意外にもそのキャリアはジャマイカ初期の音楽、スカ時代から始まります。

 



 

スカ時代に、「Wailing Wailers」のメインボーカルとして、そのキャリアをスタートさせます。そこそこの人気は博するものの、全世界で売れるほどの人気は、当時はありませんでした。当時はまだボブは、ラスタファリではなかったからです。

そして、1970年代初頭、ボブ・マーリーは、ラスタファリ運動に出会います。ボブ・マーリーは白人の父と、黒人の母の間に生まれた、いわゆるブラウンと呼ばれる存在でした。

黒人でもなく白人でもない彼は、黒人と白人の両方から忌み嫌われ、かなりの迫害をうけ育ったと聞いています。彼には頼るものが無かったのです。そんななか、黒人の解放、そして、人種差別からの解放を謳うラスタファリ運動を信仰するのは、ボブ・マーリーにとって至極当然の事でした。

そして、ラスタに改宗したボブ・マーリーは、その迫害された過去を歴史が繰り返さないように、熱い気持ちをもって、レゲエを歌い始めるのです。

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そして、2曲目に紹介している、I Shot The Sheriffが当時世界的スターだった、Eric Claptonにカヴァーされ大ヒット!オリジナルを歌っている、ボブ・マーリーも同時に脚光を浴び始めます。

そして、ボブ・マーリーの音楽が、全世界に認められるようになるのです。

 



 



 



 

そして、レゲエが世界的に広く認知されると同時に、ラスタファリ運動もジャマイカ国内だけでなく、全世界に飛び火し、一気に熱を帯びていくのです。ボブ・マーリーという宣教師を携え、ラスタファリ運動は世界的な宗教になります。

しかし、そんな栄華はいつまでも続きませんでした。

 
ジャマイカの歴史その③

ボブ・マーリーの死

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画像参照元:http://urx3.nu/oJhH

1973年のデビューから、記録的ヒットを生み続けたボブ・マーリー。

1978年には、当時ジャマイカ国内でかなり問題になり、ほぼ、内戦状態だった紛争を音楽の力で止めるなど、その影響力は計り知れないものになっていました。

※動画は、当時ジャマイカを二分させ、内戦状態を招いていた二大政党の党首を握手させる動画。ジャマイカの歴史を変えた瞬間でもあります。※



 

この動画は、まさに伝説の所業なんです。

当時この二つの政党を巡って、どちらが勝利するかで、ジャマイカ国内は大荒れしていました。昼間でも普通に銃撃戦が起きていたと聞きます。そんな事実上の内戦状態を、この握手が終わらせた。と、言われています。

ジャマイカの歴史を語る上で、絶対に知っておいて欲しい動画です。

もはや、国の首相よりも、影響力があったと言われるボブ・マーリー。しかし、1980年ボブ・マーリーの親指に悪性の腫瘍が見つかります。医師は一刻も早く、親指の切除を勧めますが、ボブ・マーリーはこれを宗教上の観点から拒否、部分切除のみで対応します。

しかし、時は既に遅く、腫瘍は全身に転移1981年5月11日、音楽のみならず、ジャマイカの歴史においても、数々の功績を収めたボブ・マーリーはこの世を去ります。ボブ・マーリーの死去により、全世界からラスタが約4割ほど減ったと言われています。

まさに、レゲエとジャマイカの発展は、ボブ・マーリーなくして有り得なかったのです。

 
ジャマイカの歴史その④

ボブ・マーリーの死後

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画像参照元:http://urx3.nu/oJhJ

 

ボブ・マーリーの死後、ラスタファリ運動は、一気に下落していきます。しかし、ボブ・マーリーの意思をついだ、若きラスタ達が立ち上がり、もう一度ラスタファリ運動を全世界に広めようと、今も猛進し続けています。

今はまだ、ボブ・マーリーほどのアーティストは出てきてはいませんが、いつの日か、もう一度レゲエが全世界に広まる事を僕は信じています。

 

まとめ

 

いかがでしたでしょうか?

以上がジャマイカの歴史と、レゲエの誕生秘話になります。ジャマイカの歴史を語るうえで、やはりボブ・マーリーは欠かせない存在なんです。

今はボブ・マーリーの頃のようなレゲエは多くはありませんが、まだまだレゲエは健在中!最近はあまり聞いていない人も、これを機に是非一度聞いてみて下さい。

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